2025/11/27 19:24

HONDAの歴史的なバイク、CB750FOURを見せていただきました!こちらは1972年式のK2とのこと。車やバイクの修理・加工・塗装をお仕事にしているお客様なのですが、自ら塗装された外装はとても綺麗に仕上がっておりました。


ところで、こちらのHONDA CB750FOUR。今でもとても人気がある車両ですね。せっかく良い車両を見せていただいたので、CB750FOURの歴史的背景と今現在まで続く人気の秘密に迫ってみようと思います。



CB750FOURは1969年にデビューしました。


世界初の量産四気筒、空冷4ストロークエンジンを搭載し、足元もエンジン同様に世界初の油圧ディスクブレーキを採用しています。ホンダの底力を感じるこのセットアップには、トライアンフを筆頭とした高性能なイギリス車を凌駕する、世界一のバイクを作ろうという想いを感じることが出来ると思います。



当時、高性能スポーツバイクとして、トライアンフの二気筒650ccが最大級のビッグバイクだった時代に四気筒736ccというエンジンを積んで登場したCB750は「ナナハン」という言葉を生み出したバイクでもあります。

この「ナナハン」という言葉は、ホンダ社内での呼称が後に広まった言葉のようです。

開発当時、CB750FOURはホンダにとっての"起死回生"の最重要プロジェクトであり、他社に悟られるわけにはいかないトップシークレット。




「ホンダが750ccを作ろうとしている」という事を秘密にするため、「ナナハン」というニックネームでそのプロジェクトバイクを呼んでいました。その言葉がCB750FOURの登場後、その性能と人気ぶりから世の中に浸透していったというわけです。



「ナナハン」。
いいひびきですよねぇ~。
「先輩は750までがオートバイと感じる。」なんて言っていました。
当時の雰囲気に浸ると、わかる気がするなぁ~(笑)


さてさて。

CB750FOURは発売後、とてつもない人気を呼ぶわけですが、先に"起死回生"という言葉を書きました。これは何を指すのかと言う事にも触れたいですね。


1950年代。海外での販路を開拓しようと努めていたHONDAは、カブなどの小排気量を中心に少しづつ販売数を伸ばしていたものの、目標には程遠い数字だったそうです。

(1959 Benly CB92 Super Sports) 欲しい。(笑)
*ちなみに初めてCBと名付けられたモデルです。


ホンダは世界一のオートバイを作ろうと、高性能を追い求めます。

(CB72) 欲しい。(笑)


1960年には 59年のロードレース世界選手権マン島TTレースに出場して培った技術を反映させたスーパースポーツマシン、ドリーム CB72 Super Sport (250cc)を世に放ちます。美しいです・・・。


しかし、アメリカ市場での売り上げは不振に終わります。世界のオートバイメーカーは小排気量で如何にパワーを出すか。速く走るかというようなベクトルであったものの、アメリカの市場では、性能は排気量でカバーする思想があり、大排気量なバイクが基本でした。

(CB77) 欲しい。(笑)

アメリカ市場では欧州メーカーの500ccや650ccが主流で、HONDAでは最大排気量ではあるものの、その他とくらべると、その半分程度の排気量でした。後にCB77(305cc)へと排気量を拡大するものの、アメリカ市場での対抗馬とはなりませんでした。

当時のアメリカでは、ハーレーもしくはトライアンフを所有しながら、普段の買い物にはホンダのカブを使うというような感じでしょうか。真相はわかりませんが(笑)



(Dream CB450) 欲しい。(笑)


その後、1965年にはドリーム CB450が登場します。こちらは欧州メーカーの650ccクラスの性能を450ccで達成するために、初の高回転仕様のDOHCエンジンを搭載したモデルです。

「欧州車の650cc? 俺だったら450で対抗できるよ。」

と本田宗一郎言ったのかどうか・・・?




空冷4ストローク2気筒エンジンは、オートバイとしては世界初のDOHC(ダブルオーバーヘッドカムシャフト)を採用したこのエンジンは、最高出力43PSを8500回転で発揮し、最高時速は180km/h。欧州メーカーの500ccクラスを上回り、650ccクラスと同等かそれ以上の性能を見せつけました。

その性能を持って、当時のキャッチコピーは「オートバイの王様」や「初心者にはおすすめできません」といわれました。すごいキャッチコピーですよね(笑)

CB450はホンダのフラッグシップモデルとしてアメリカに乗り込むのですが、その期待とはうらはらに販売台数は伸び悩みます・・。



その理由は、アメリカでは最高出力や最高速度よりも、低速にパワーがありトルクフルなバイクが主流だったからです。

オートバイの歴史的には、マン島TTレースをはじめとする、小排気量で如何にパワーを引き出すかという発想があったと思いますし、ホンダをはじめとする日本はそれら欧州車の性能を超えていくモノ作りを目指していたのだと思います。事実、1950年代以降の日本車のレース史は素晴らしいものがあります。

しかし、アメリカの文化は世界的には稀有な文化と言えたのでしょう。広大な土地があり、A地点からB地点までを旅する伴侶のような存在としてのオートバイが求められていたのです。

アメリカでは、「デカい」と言う事が大切だったのです。

今でもハーレーは古き良きを強く残し、世界的には特殊な魅力を持っているように感じます。




そして、"起死回生"のCB750FOURです!

高性能な四気筒のビックバイクの開発は、小排気量高回転エンジンとはまた違った問題が多数生まれたそうです。当時の技術では、その排気量と高性能エンジンに耐えられるチェーンが無く、テスト走行中に切れてしまったり、タイヤも耐えられずバーストしてしまったりと、エンジンの性能に消耗品が耐えられないという、高性能が所以の問題があったそうです。

良すぎて駄目なんて、困ったもんですね!(笑)


そのためには、チェーンには自動給油システムを組んだり、タイヤメーカーのダンロップにCB750FOUR専用のタイヤを作ってもらったりと、ひとつづ問題をクリアし、発売にこぎつけたそうです。


そして、CB750FOURは発売するやいなや、すごい大反響だったそうです。

このCB750FOURはアメリカのデイトナ200やフランスのルマン耐久、鈴鹿10耐。アメリカ、フランス、日本のメインレースで優勝を飾り、その性能と耐久性を証明するとともに、世界のオートバイシーンをリードし、人気と共に業界を牽引する立場になりました。

ちなみに、CB750FOURの発売年の1969年、アメリカを代表するハーレーダビッドソン社は大手機械メーカーであるAMF(アメリカンマシンファンだリー社)と業務提携を結び、AMFの傘下となります。

全て・・とは言えませんが、CB750FOURのアメリカでの成功により、ハーレーダビッドソン社の経営に影響があったことは間違いないでしょう。ホンダが世界を席巻した瞬間でした。




CB750FOURは、当時ホンダが夢を追いかけたオートバイであり、オートバイの歴史の中でもひときわ輝く存在です。欧州車に負けない技術力を身につけ、広大なアメリカを自由に走り回るオートバイは、まさにドリームという言葉が相応しいですね。


あ~乗ってみたい・・・(笑)